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◆ Notes 〜 映画コラム  ◆

ブログという語は響きが美しくないのでニガテです。

黄花写真

 映画フィルムで、えくすたし 

は じめにお読みください〜このコラムについて

★第2回 無声映画は無声にかぎる!「巨人ゴーレム」ほか

映画コラム第2回は古典もの、それも無声映画(!)を中心にレポート。
...って、本家サイトでは「音楽は新しいのに限る」って言っときながら 、こっちでは無声時代のものとは、どゆこと? なんて声も聞こえてきそうですが、イナカだと夏は青少年向けメジャー作しか上映してないので、 しかたないのです。
日本映画は題材が陳腐でショボすぎるし、洋画で例えばアンジェリーナ・ジョリーのアクションものなんてもう食傷気味だし。

フィルムセンター外観

んなワケで今回は、前回「羅生門」→コラムのページ) を見たときに会場にあった東京国立近代美術館フィルムセンターのチラ シで見つけた2本をば。

「フィルム・コレクションに見るNFCの40年」と題したこの企画では古典的フィルム96作を上映していて、みなマニアックなものばかり。
ヒッチコックのトーキー第一作や、歴史的な「イントレランス」などはスケジュール的にムリだったので、こういう選択になりました。




「三文オペラ」  DIE DREIGROSCHEN OPER (1931年/アメリカ、ドイツ/112分/35mm STD・白黒)
監督:ゲオルグ・ヴィルヘルム・パプスト 音楽:クルト・ヴァイル 出演:ルドルフ・フォルスター、カローラ・ネーヘル ほか

三文オペラ 1s

ブレヒトの戯曲が原作ということで見てみることに。8月31日火曜日15時の上映ながら3分の2弱ほどのなかなかの入りで した。料金は500円。

色男の大泥棒(実質やくざ)の親分が町で目でナンパした女性を自分の縄張りのホテルのバーに誘って口説き、すぐさま挙式な どという、いかにも舞台的なスピーディーな展開。
式での子分たちの歌や、花嫁ポリーの歌など、ミュージカル的な楽しさもふんだんです。
描かれているやくざと警察署長の「もちつもたれつ」の関係は、洋の東西を問わず昔からあったんだなと実感できるし、社会の秩序を保つ裏の手段 として、人間はうまく考えたものだと思います。

ロンドンの乞食稼業は登録制で元締めがコスチュームと、足が不自由やら目が不自由やらのスタイルを割り当てて各
地区を担当させるといった「サラリーマン乞食」システムなど、そこはかとないおかしさが全編にわたって散りばめられていて楽しく見れました。

三文オペラ 辻立ち

泥棒の親分マッキーが投獄されている間に妻ポリーが実権を握ると、「これからの時代は泥棒じゃなくてビジネスでいくのよ」 と銀行稼業すなわち財界に進出するところも、現代に通じていて中々優れた脚本です。

白黒フィルムならびに音声は1931年、昭和初期であることを考えると驚異的な美しさ。映画大国アメリカ、ドイツの底力を 感じます。
また、映像という観点から見るとほとんどがセット撮影で作られているようで、映画というより舞台を映画にして残した、といった趣(おもむき) でした。



「巨人ゴーレム」   DER GOLEM, WIE ER IN DIE WELT KAM (1920年/ドイツ/86分/35mm STD・無声・染色)
監督:パウル・ヴェゲナー、カール・ベーゼ 出演:パウル・ヴェゲナー、リダ・サルモノヴァ ほか

これはタイトルにひかれました。人間に生命を吹き込まれた泥人形ゴーレムがゲットーを破壊するということから、コマ撮りア ニメか合成で巨大なゴーレムが大魔神(知ってるよね?)のごとく町を破壊する話だったら面白そうだなと思ったからです。

8月27日金曜日、夜の銀座。上映1時間前くらいに行ったら既に何十人も並んでいて驚きました。チケットは上映直前に売る とのことで、「先に買っといてプラプラしてよう」との目論みはフイに。
でもこの盛況って何?そんなに有名なの? 若い人もけっこういて、映画おたくがこんなにいるのかと思ったが、今回は無声でも弁士と伴奏つきな ので、それ目当ての人が多かったのかもしれない。僕にとってはない方がヨイのだけれど。料金は通常より500円アップの1000円でした。

19時、舞台しも手に女性弁士、上手に男性ピアニストを配して上映スタート。
1920年、大正時代の作品ながら、かつての映画先進国ドイツで復元されたフィルムは巨大スクリーンで上映しても驚くほどきれいでした。

巨人ゴーレム 2s

染色というのは白黒フィルムに場面ごとに緑、青、黄、赤、橙色(たしか)などの色を全面につけたものですが、なかなか良い 雰囲気です。

ユダヤ聖職者(ラビ)が天体観測をして星の配置から災いが起こると為政者の王に進言するところから物語りは始まります。こ の辺はなんとも中世の神秘性が画面にあふれています。

さて、王国の一方的支配に対抗するためラビが考えたのは土で作った人形ゴーレムに術をかけて自在にあやつれるようにするこ と。
いよいよゴーレムの登場です。

巨人ゴーレム BS

どんなオッソロシイやつなんだろう...と、期待のうちに画面に映し出されたのは、思いがけない姿でした。
頭はおかっぱで、少しデブで、そしてナントいってもその大きさが...普通の大人よりひと回り大きいだけ...確かに巨人には違いないかもしれないけど、 家やら町並みを
踏みつけて破壊する巨大な魔人を勝手に想像していた私はかなり動揺しました。 うーむ。

でも、命が宿ったゴーレムの目が光るところなどは、今見るとなんてことありませんが、当時はけっこう難しかったのかもしれ ません。
また、呪文やら火の魔法陣やらのシーンは当時の特撮とモンタージュを駆使していて、特に火炎の特殊効果などは「さすがだな」といったところで した。

巨人ゴーレム 買い物

さてゴーレムを思い通りに動かすためには訓練をしなければなりません。 手始めに行ったのはナント「買い物」です。
メモ持って買い物カゴを片手に下げて...ってオイオイ、これって「はじめてのおつかい」じゃん!
怖がる店の夫婦に対して後ろからそっとついてきたママ役?のラビの弟子が耳打ちして、めでたく終了なんて、オモシロすぎ!

コワモテのゴーレムが買い物カゴを持つ姿や、それを恐る恐る見守る町の人々の表情など、とってもシュールで笑えます。

こうした過酷な訓練(!)を経てゴーレムは人間に仕えることができるようになり、ラビと共に王宮に招かれます。 ここでは豪華な宮廷のセットやラビが宴の席でユダヤの民の歴史を語る際、中空に秘術で映像を映し出す特殊効果(おそらくはスクリーン・プロセ スによる)が見ものです。
しかし、王宮の一人の貴族が空中映像のユダヤ史を見て、嘲笑してしまったところから事件が起こります。ラビは事前に「もし話の最中にバカにす るような行為があれば恐ろしいことが起きる」と警告していたのです。

ぢつはこの時点でも私は「巨大ゴーレム」の出現にほのかな希望を持っていました。
「ラビの秘術など、何かのひょうしで巨大になるのかもしれない。家を踏みつぶし、王宮をぶっこわし」...もうほとんど小学生の世界ですね。
しかしそんな私の願いもむなしく、ユダヤの怒りに触れて宮殿が倒壊しそうになったのをゴーレムが怪力で支えて救うのでした。もちろん、素(す )のままの姿で。

巨人ゴーレムと弟子

こうして王から感謝され、ユダヤ人に恩赦を言い渡されてメデタシめでたし、となったのですが、ゴーレムが個の意思を持ち始 めたことを危惧したラビは彼を葬り去ることを決意します。

しかし、ラビがユダヤ恩赦を祝う祈りのために教会に出かけていたときに事件が起こります。ラビの娘と恋仲の王宮の従者が一 夜を共にしていたことに嫉妬したラビの弟子が、ゴーレムを復活させたのです。
巨大な塔の上でゴーレムが従者を襲うシーンはエンターテイメントを感じます。ただ、こうした行き過ぎた懲らしめ方は当時の社会通念からみると 真っ当なものだったかどうかは、少し考えてしまいました。

火事など、居住区内が事件で騒然とする中、ゴーレムは町外れで運んできたラビの娘を横たえたとき、その「美しいもの」を見 て心を静めます。 ゲットーの大門の外では「美しい」子供たちが遊び、それに導かれるようにしてゴーレムは門を怪力でぶっこわし、門外へ出ます。
花が咲き誇る野原でコワもてのゴーレムと無垢な子供がふれあう、微笑ましくて心が和む場面です。
この美しいラストシーンではいろいろなことを読み取ることができ、そういった意味でも中々うまい作りになっています。

巨人ゴーレム UP

さてとうとう最後まで、「家を踏みつぶす巨人」など出てきませんでしたが、よくよくタイトルを見てみたら、原題に「巨人」 らしき言葉はありません。
大魔神や大怪獣を生んだ日本の販売会社(配給会社?)が客寄せでつけたのかもしれません。その点は少し残念だけど、予備知識のない状態 で映画を見ると思わぬ発見や感動に出会えたりもするので、いいものです。

最後に、今回は弁士、伴奏つきで上映されましたが、無声映画はやはり無声に限ります。
良い映画は台詞や説明がなくても映像だけでわかるし、何より説明などがあると想像力が限定されてしまうのです。
他でも伴奏つき無声映画を何度か見たことがありますが、常に音が鳴っていて落ち着きません。

以前、小津安二郎「生れてはみたけれど」を無声で見ていたく感動し、もう一度見る機会があってそ のときは弁士録音版だったのですが、印象が 全く変わってしまってがっかりしたのを覚えています。
よく、昔の無声映画時代は劇場で弁士や楽団がついていたなどと言われますが、それは「すべて」だったのでしょうか。 田舎町など含めて全てだったとは考えにくく、調べてみる必要がありそうです。

ともかく、この映画は無声で見ればあちこちに漂うそこはかとないおかしさ、怖さ、そして微笑ましさが存分に感じられること でしょう。 次に見る機会があったら、絶対サイレントで見たいと思います。

(2010/09/09)






Photo : 虚空慈 kokuuji

アップロード : 2010/09/10   更新  : 2010/11/22

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